
日々の生活に欠かせない箸。あなたはこだわりを持って選んでいますか?
箸にこめられた日本の伝統や
食事を楽しくおいしく演出してくれる道具としての魅力など
多彩な箸の世界をご紹介。
◆小さくて美しい伝統の集大成
食器売場に行くと、よくお椀(碗)を手で包むようにして品定めしている人を見かけます。
それは、手に持ったときの手触りを重要視しているから。
日本人はわずか1グラムの差でもわかるほどの
繊細な手の感覚を持っているといわれています。
左手には木製の漆塗りの椀や土ものの碗、そして右手には木の箸を持って
自由に「食べる」という行為をあやつってきたその文化は
日本人の手に繊細な感覚を宿すとともに
情緒的といわれる国民性を育ててきました。
母から娘へその家庭の味が伝えられたり
師匠から弟子へ伝統の技が引き継がれたりしますが
この「伝える」という世代交代は、すべて「手伝い」からはじまります。
「手伝い」とは、手から手へ伝統を伝える第一歩なのです。
そしてその手から手へ伝わった「技」には、機械で仕上げられた
どんなに細かく綺麗なものにもかなわない、人の心を打つ職人の想いや
先人たちの知恵が注ぎ込まれています。

馥郁(ふくいく)とした香りに誘われて
肌寒さが残る早春に咲く梅は「春告草」という別名を持っています。
梅の花が咲くのを見て、春を知る。
かつての日本人は「梅暦」といって梅の開花で春を知り
それを暦代わりとしていました。
梅の開花によって春を知る「梅暦(うめごよみ)」
なんて風流な言葉なのでしょう。
梅が春の訪れを知らせる花… 音読みして「ばいれき」とも読まれた古い言葉です。
中国から暦が伝わる前、日本は自然暦でした。
自然の様子を目安として、時節を知っていたのです。
梅の花が咲けば、春。人々はその開花をどんなに待ちわびたことでしょう。
『梅暦』という言葉そのものが、梅の花を指す場合もあるそうです。
「春告草(はるつげぐさ)」とも呼ばれる梅。
本当にたくさんの異称を持っています。
香りがいいので「匂い草」「香栄草(かはえぐさ)」
ほかの花に先がけて咲くので「花の魁(さきがけ)」「花の兄」
昔、晋(しん)の武帝が、学問に励むと梅の花が咲き
怠(おこた)るとしおれていたという故事から「好文木(こうぶんぼく)」

薄紅色の可憐な花。
清楚で気高く、百花に先んじて早春に咲く梅は古来から人々に愛されており
観梅の風習は奈良時代からすでに行われていたそうです。
当時も早春の梅は人々の心を打ったようで、かの「万葉集」には
梅の歌は118種、桜の歌は38種と圧倒的に梅の歌が多く詠まれています。
・「春されば まづ咲くやどの梅の花 ひとり見つつや春日暮さむ」 (山上憶良)
・「わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」 (大伴旅人)
・「我が背子に 見せむと思いし梅の花 それとも見えず雪の降れれば」
(山部赤人)
・「今日降りし 雪に競ひて我がやどの 冬木の梅は花咲きにけり」
(大伴家持)
・「酒坏に 梅の花浮べ思ふどち 飲みての後は散りぬともよし」
(大伴坂上郎女)
万葉集では梅と言えば白梅を意味し、その散る様子を
雪が降る様に紛うという表現をしている歌が多く見られます。
この万葉の時代、季題としての「雪」と「梅」は春でもあり冬でもあったようです。
この頃に詠まれたのは白梅で、紅梅は清少納言や紫式部などの
平安時代の女房たちの手によって文芸上に登場するようになりました。

松竹梅はお祝い事にはつきものですが、中でも梅は
お正月にはなくてはならない花になっています。
そして花見と言えば現代は桜を思い浮かべますが
梅の花も非常に魅力的で甲乙つけがたく、実際に昭和初期には
日本の国花は梅と桜のどちらがいいかと争われたことがあったそうです。
梅派の人達は「桜は春爛漫の浮華軽佻な木である」といい
梅こそ寒風に立ち向かい、忍耐と覇気があり、高潔な美しさがあり
まさに日本を代表する花としてふさわしいと主張したそうです。
花の盛りもさることながら、ほころび始めたつぼみの時期
一輪だけ咲く景観にも風情があります。
立春を過ぎ二月中旬にもなると 早春に咲く花木は堅い蕾を少しずつ膨らませます。
その先頭を切って百花に魁け花開くのが梅。
春告草とも言われる通り冬の厳しさにじっと耐えて
時には雪をかぶりながら一輪一輪と蕾を綻ばせ
馥郁たる香りとともに春の訪れを告げる…。
一輪開花する毎に暖かさが増してゆく季節。
まさに 「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」です。

「梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな」
「梅が香に のつと日の出る 山路かな」 (松尾芭蕉)
暖冬の影響で今年の梅の開花は早いようですが
梅の便りが聞かれると、待ち遠しい春はもうすぐそこまで近づいていると
なんとなく穏やかな気持ちにさせてくれます。
ちなみに…
寒い寒いとおもいながらも、ほのかに匂う梅の香に誘われ
庭の奥、山の中を歩くと事を「探梅」「探梅行」などというそうです。
ふと見やったその先に梅の花が一つ、二つと咲いていると嬉しいものです。
余寒にひるむことなく花をつける梅に、りりしさや清々しさを感じます。
梅は梅干や梅酒など果実もいろいろと利用されていますが
戦国時代から江戸時代初期の頃、梅の実が糧食として重宝され
次第に諸国、各藩で栽培されるようになりました。
藩が栽培を奨励するところもあり、中でも水戸藩藩主・徳川斉昭は
藩内各所に梅を植えさせ、藩校の脇には梅を讃える碑まで建てています。
斉昭創設の偕楽園は今でも観梅の名所として広く有名ですね。

「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」 (蕪村、辞世の句)
蕪村には梅を詠った句が多いのですが
最後の瞬間も梅の花を気にかけていたのですね。

梅暦 (上)
梅暦 (下)
第一合同歌集 梅暦
「近代日本の文学空間」
「花暦」
「おりおりに和暦(わごよみ)のあるくらし」
「四季の花手帖」
四季の花の特徴、伝承、扱い方などを詳細に解説し
現代の暮らしの中のいけばなを提案。
自然、伝統の花への想いまでも謳う、新タイプの「花材事典」。

■ 季節の言葉
如月(きさらぎ)
如月は寒さで更に衣を重ねて着る月であることからきた名であるという。
暦の上では立春を過ぎても、寒さはまだ続く。
しかし日脚は日一日と延びることから「光の春」という言葉が使われる。
旧暦2月の異称、如月といい又「きぬさらぎ」ともいいました。
現在ではほぼ3月にあたります。
「日本書紀」の仁徳紀の中に、奈良県東部の山中に氷室(ひむろ)を造り
夏には日本酒のオンザロックを飲んでいたという記事があり
その中に「春分(きさらき)」という呼称が用いられています。
語源説はいくつかありますが
寒さを防ぐために衣をさらに重ねて着る意から衣更着(きさらぎ)に
また陽気が発達する時期であるところから気更来(きさらぎ)になったというのが
よく知られています。
(さらに草木の芽の張り出す月だからこの名がついたという説や
旧暦2月は燕が来る時季であるといわれており
去年の旧暦8月に雁が来て、さらに燕がやって来始める月
すなわち「来更来(きさらぎ)」月が語源だとする説などがあります。)
* その他の2月の別称
建卯月(けんぼうげつ)・令月(れいげつ)・麗月(れいげつ)・雪消月(ゆきげづき)
梅見月(うめみづき)・梅津月(うめつづき)・初花月(はつはなづき)
大壮月(たいそうづき)・小草生月(おぐさおいづき)・中の春(なかのはる)
酣春(かんしゅん)・春半(しゅんはん)・仲陽(ちゅうよう)・仲序(ちゅうじょ)
為如(いじょ)・令節(れいせつ)・降入(こうにゅう)・華朝(かちょう)
美景(びけい)・恵風(けいふう)など。
『光の春』(ひかりのはる)
立春後の、気温はあまり上がらないものの、明るさを増し、春を感じさせる時期。
『光の春』に対する言葉が「気温の春」。
「春分」を過ぎ、日増しに暖かくいく頃をいいます。
ほかに「音の春」もあります。雪解け水が流れる音、鳥のさえずり…
春の訪れを告げる音が、さかんに聞こえてくる頃の美しい言葉ですね。
旧暦二月は、樹木が芽ぶく月ということで『木芽月(このめづき)』とも呼ばれます。
木の芽を「きのめ」と読むと、特に「山椒(さんしょう)」の新芽をさすことになるそうです。
小さな実を香辛料などに利用することはご存じのとおり。
新芽も、お料理の彩りや香りつけ、すりおろして「木の芽合(あ)え」などにします。
口の中に広がるみずみずしい香り。これぞ早春の味わいです。
現代の二月は、まだまだ厳しい寒さが続き、外は枯木立(かれこだち)が並ぶ冬景色。
でも近寄ってよく見ると枝の先に冬芽をつけているのがわかります。
冬芽の表情は樹木の種類によってさまざま。いろいろな顔で春を待っています。
私たちの心にも春を待つ芽がふくらんでいく…そんな月です。
立春、節分、豆まき、晩冬、余寒、残寒、向春、東風(こち) 春一番
札幌雪まつり、横手かまくら、十日町雪まつり

立春(りっしゅん) 2月4日頃
春が始まる日。
暦の上で一年の始め、春の始めとされ暖かくなりはじめる。
雨水(うすい) 2月19日頃
雪が終わり雨となる頃。
雪やあられが雨に変わり 氷や霜が融けはじめる。
日本には何月何日というデシタルな暦とともに
「立春」とか「清明」「白露」などの美しい言葉で示される
「二十四節気」という暦があります。
四季に恵まれたこの国では「二十四節気」によって自然の再生循環と
季節の移ろいを身体全体で感じ自然との共生をしてきたのです。
「立春」とは二十四節気のひとつ。
冬至と春分の間の2月4日頃をいいますが
この日から雨水(2月19日頃)までを「立春」ということもあります。
飛鳥時代に中国より暦(24節気)が伝わり
日本では「立春」を年の初めとする暦が作られるようになりました。
この暦は明治時代の改暦まで続いていたので、今でも年賀状には
「新春」とか「初春」という言葉が使われているのです。

◆今に通じる「都市」の知恵
百万都市・江戸は、言葉も習慣も異なる人々が全国から集まった
異文化のるつぼでした。
当然おこるあつれきやトラブルを未然に防ぎ、人々が安心して楽しく暮らせるように
江戸町方のリーダーたちは様々な手立てを工夫しました。
その一つが「江戸しぐさ」です。
目つきや表情、話し方や身のこなしによって、思い(心)を表現する方法です。
代表的なしぐさとして挙げられる「肩引き」とは
人込み、狭い道で人とすれ違うとき、お互いに肩を後ろへ引くこと。
ぶつからないように、相手の行く手を遮らないように
互いの胸と胸をあわせて体を斜めにした格好ですれ違います。
「傘かしげ」は、雨の日のしぐさ。
傘を人のいない方へ傾けてすれ違えば、滴で相手をぬらさずにすみます。
これらは「お初しぐさ」「稚児しぐさ」と言われ、子どものうちに習得するものでした。
◆江戸の賢者の知恵「江戸しぐさ」
「江戸しぐさ」なる言葉を知ったのはごくごく最近のこと。
公共広告機構のCMや駅貼りポスターで初めて目にしました。
「江戸しぐさは、イキを美徳とした江戸っ子が実践していた
都市生活での共通の智恵。
江戸での公共マナ−は都会人ならではの洗練されたしぐさ。
江戸しぐさは東京っ子にもふさわしいしぐさです。
(「公共広告機構ポスタ−」より)」
江戸は、今の千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・江東区あたりでした。
その江戸の住民は、約半数が武士、半数が町方と呼ばれる庶民でした。
半数を占める庶民の居住地域は、面積が江戸全域の約15%程度
かなりの過密都市だったようです。
江戸庶民たちは、狭い土地にたくさんの人たちが住み、そのほとんどが商業
つまりサ−ビス業に従事していました。
そこで、人々が他人と共存しながら気持ちよく生活するために
人間関係をうまくコントロ−ルすることが必要になってきました。
そこで生まれたのが「江戸しぐさ」で特に町方のリ−ダ−のモラルとして始まり
この「しぐさ」ができない人は江戸っ子ではないとまで言われたそうです。
なお「しぐさ」は、形や態度を表す「仕草」というより
精神・心を表す「思草」であって
その心が言葉や行動に具体化されたのが「江戸しぐさ」ということになります。
「江戸しぐさ」は、一言で言えば江戸の感性(センス)なのだそうです。
この感性・知恵を語り継いできたのが「江戸の良さを見なおす会」の
故・芝三光先生です。















































