
日本古来の行事や文化、伝統、風物など
日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」
◇◆◇[楽焼]◇◆◇
秋を迎え、静けさの中、和室で御抹茶などいただきたい気分。
御抹茶といえば「楽焼」・・・持った手から伝わってくるぬくもり・・・
茶の湯のために作られた茶道具「楽焼」。
日本の美、侘びさびの世界をあらわした茶道具たち。
今回は、日本人が作り出した美の世界…「楽焼」について。

「楽焼」という「やき物」をご存知ですか?
日本独特のやき物で、手捏(てづく)ねで成形し
低火度で焼いた軟質の陶器のこと。
茶の湯のためだけに作られているものです。
まず、中国や朝鮮のやき物は、素焼きをしません。
陶土や磁土を轆轤(ろくろ)台の上にのせ、形を作っていきます。
形ができると陰干しして、ある程度乾いてから、染付けをしたりします。
ところが「楽焼」は、まず轆轤を使いません。
陶土を練り上げて丸い板にのせて、形を作っていきます。
適度に乾かして固まると竹や鉄の箆(へら)で削って仕上げ、窯に入れて素焼します。
轆轤を使わないこと、素焼すること、これが独特のといわれる部分。
天正年間、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により
聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いたものが始まりとされています。
二代目常慶が豊臣秀吉より聚楽第からとった楽の印を賜ったことから
これを家号とし楽家となりました。 正統な楽家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯といいます。
「楽焼」は、桃山時代、楽家初代「長次郎」によって始められました。
この当時、京都を中心に中国河南地方の三彩釉(さんさいゆう:緑・青・茶の釉(うわ)薬)
を使ったやき物が焼かれ始めていました。
長次郎の父、帰化人・阿米也(あめや)は、中国から三彩陶の技法を伝えた人物といわれています。
その息子である長次郎はもともと瓦職人。
茶人・千利休との出会いによって茶の湯の世界へと入っていったのです。
その頃、茶の湯も侘びへと世界が進んでおり、三畳台目(さんじょうだいめ)以下の
小さい茶室が作られ始めていました。
しかし小さい茶室には、それまで使っていた天目茶碗はふさわしくない
また高麗(こうらい)茶碗でも雰囲気にそぐわない…と感じていた千利休は
日本で小さい茶室にあった茶碗を作りたいと考えたのでした。

そこで、依頼したのが「長次郎」というわけです。
長次郎は、千利休の指導のもと、抹茶茶碗を作るようになったのです。
これが「楽焼」の始まりです。
しかし、その当初、「楽茶碗」とは呼んでいませんでした。
最初の呼び名は「今焼き茶碗」。
「今焼き」とは、「今までにない新しい茶碗」という意味です。
斬新な茶碗だったことが伺えます。
そんな「今焼き茶碗」が、「楽茶碗」と呼ばれるようになったのは、どうしてでしょう。
ここで、登場するのが、豊臣秀吉です。
その頃、秀吉は京都での生活のために華麗壮大な邸宅・聚楽第(じゅらくだい)を建設。
建設とともに、聚楽第からは膨大な土が出たのです。
そこで、その土を使って秀吉が茶碗を焼かせた・・・
つまり、「聚楽第の焼き物」とだったのです。
その証拠に秀吉は、長次郎のあと2代目常慶(じょうけい)に「楽」の字の金印を賜り
それ以来、「楽」を家号として「楽焼」としたのです。
(聚楽第には、千利休の邸もあったのです)
ただ、聚楽第の土を使ったのは三代目道入(のんこう)までとのこと。
聚楽第は、お世継ぎ争いによって、後に取り壊されています。
楽焼の製品は、茶碗、茶入、水指、花入、香合、鉢、向付、菓子器
火入、灯火皿、香炉など、茶の湯のための器に限られています。
お茶を習っていらっしゃらないとなかなか触れる機会の少ない焼き物ですが
その中には、深い歴史が刻まれているのです。
千利休の茶の湯に対する思いから生まれた「楽焼」。
日本独特の焼き物は「楽家」によって、只今、十五代続いています。
実際にご覧になりたい方は、京都では「楽美術館」
東京では、11月12日まで三井記念美術館にて「楽焼」を観ることができます。
三井記念美術館
http://www.mitsui-museum.jp/index2.html
楽美術館
http://www.raku-yaki.or.jp/museum/index-j.html

高麗茶碗 → http://touri.jp/kourai-tyawan/kourai-top.htm
天目茶碗 → http://www.santetu.com/index.html
茶室に向かう小さな道を露地といいます。
露には露見するという意味があり、路地ではなく露地の字が用いられています。
ここを通って茶室に向かう時、社会の中でかぶっていたお面をはずし
いろいろな汚いものを脱ぎ捨てて、真の自分に戻ります。
人が持つ本来の清らかで美しい心が現われ
茶の道を求める心の準備が整ってゆくのです。
露地には飛び石が敷いてあり、それをたどって進みますが
その石はまっすぐではなく、右へ左へとジグザグに敷かれています。
ちょっと立ち止まって、遅れて来た人を待てるように
後の人に、どうぞお先にと道を譲れるように・・・・。
この教えを知ったとき、胸にポッと火が灯ったように感じました。
大切にしたい「和の心」のひとつです。

お茶のお稽古の最初は、薄茶のお稽古から始まりますが
先輩方のお稽古で濃茶をいただくことがあります。
濃茶とは、薄茶(一般的によく飲まれるお茶)の前にいただくお茶です。
主菓子(おもがし:練りきりなどの生菓子のこと)をいただいてから
ひとつのお茶碗にお客様の人数分(だいたい3〜5人)をまとめて練り
みんなでまわして飲みます。
薄茶の約3倍の抹茶を茶筅(ちゃせん)で練るため、かなりドロッとしています。
そのときのお茶碗が「楽茶椀」なのです。
手にズシッとくる感じなのですが、なぜか暖かさを感じる・・・
今までに味わったことのない感触。
「楽茶碗」には、黒楽と赤楽があります。
秀吉は派手好みで赤茶碗を好んで使用したそうですが
利休はわびさびを尊び赤茶碗を嫌って黒茶碗を多用したそうです。
黒楽

古来の製法としては、素焼き後に加茂川黒石からつくられた釉薬をかけて陰干しし
乾いたらまた釉薬をかけるといったことを十数回繰り返してから1000度程度のやや高温で焼成する。
近年では、釉薬に鉛が多く入って溶く光沢のある仕上がりになる。
焼成後、すぐに窯から取り出して急冷する。
現在は1250度位で焼いているようです。
赤楽

聚楽土や白土に黄土で化粧がけして素焼きし、古くは唐土に長石を混ぜたもの
近年では透明の釉薬をかけて800度程度で焼成する。
赤楽は、唐土(とうのつち 鉛釉)に長石分を混ぜた半透明の白釉を
赤い聚楽土の上にかけています。
最近は、白素地に黄土で化粧がけした上に透明な楽釉をかけているようです。
焼く温度も800度くらいの低温。短時間で焼成されます。
黒楽と赤楽、どちらも手の中のぬくもりは変わりませんが
濃茶の緑とマッチして新たな美しさを感じる茶碗です。
小さい茶室で静けさの中、黒楽で飲む濃茶。
千利休が作り出した世界「楽焼」。
これからもきっと生き続けていくことでしょう。

「樂ってなんだろう」「楽焼」それは今から四〇〇年前、茶の湯のためにはじめられた日本の焼物…楽茶碗の世界。
グラフィカルに楽しみながら気楽にページを繰ってみるうちに
「楽焼」という陶芸の全容が見えてくる本。
「すぐわかる茶の湯の美術」「茶道具」の基本的な見かたがこの一冊でよくわかる。
「茶の湯ごよみ」 初夏から盛夏、そして、秋を過ごす風炉の季節。
自然のうつろいのなかで知る茶の湯のこころと美。
お茶に親しみ、雅味あふれる暮らしを楽しむために
ひと月ごとにつづられた美しき茶の湯の歳時。
「和風時間(no.2)」 和の暮らしを演出する生活実用マガジン
「心地よい和の暮らし」インテリアに和の暮らしを取り入れた生活スタイルを実例大特集












