
「大安」や「仏滅」というのは「六曜」という暦注に当たります
暦注とは、読んで字の如く、暦に附けられた注釈のことです。
「二十四節気」も暦注の一種と言えます。
また現在われわれが普通に利用している「七曜」もありました。
「日月火水木金土」の七曜は、平安時代の摂政・藤原道長の日記
「御堂関白記」にも記載されており、ちゃんと現在の七曜とつながっています
(日曜日のみ「密」と書かれていました)
他に有名なものには「十二直」「二十八宿」などがあります。
北斗七星や星座の動きを暦に取り入れたもので
それに吉凶の要素を加えたもの。
ほかにも様々な暦注がありますが性格はみな同じです。
六曜は「六曜星」「孔明六曜星」「六輝」などとも言われます。
六曜のルーツは中国宋時代末の六壬時課(りくじんじか)と言う
時刻の吉凶占いがもとといわれています。
日の占いに用いられるようになったのは時代が下った清の時代で
このころの名称は小六壬(しょうりくじん)。
現在の六曜のルーツではありますが
言葉も順番も時代によってだいぶ変化してきています。
◆六曜 (六曜の読み) [系統] 解釈・解説○先勝(せんしょう・せんかち・さきがち・さきかち)
「先んずれば即ち勝つ」の意味。かつては「速喜」「即吉」とも書かれた。
[土御門] 午前吉、午後凶、急いで吉
[高島] 万事急ぐこと吉、午後凶
[安政雑書]万事、朝より昼までにすれば障りなし、昼過ぎより日暮れまで悪るし
○友引(ともびき・ゆういん)
「凶事に友を引く」の意味。
かつては「勝負なき日と知るべし」と書かれていて
勝負事で何事も引分けになる日とされており、現在のような意味はなかった。
陰陽道で、ある日ある方向に事を行うと災いが友に及ぶとする
「友引日」というものがあり、これが六曜の友引と混同されたものと考えられている。
葬式・法事を行うと、友が暝土に引き寄せられる(すなわち死ぬ)との迷信があり
友引の日は火葬場を休業とする地域も多い。
「ともびき」という読みが一般的となっているが「ゆういん」と読むこともある。
[土御門] 午後は利益なく、夕方吉
[高島] 夕刻大吉、葬式を忌む
[安政雑書]友引とて半ばよし、この日、葬礼出すべからず、大いに忌むべし
○先負(せんまけ・せんぷ・せんぶ・さきまけ)
「先んずれば即ち負ける」の意味。
かつては「小吉」「周吉」と書かれ吉日とされていたが
字面に連られて現在のような解釈がされるようになった。
万事に平静であることが良いとされ、勝負事や急用は避けるべきとされる。
また、午前中は凶、午後は吉ともいう。
[土御門 ] 平静を守って吉、午後吉
[高島] 静かなことに吉、午後吉
[安政雑書]万事朝より昼迄悪し、昼過ぎより日暮れまで障りなし
○仏滅(ぶつめつ)(物滅)
「仏も滅するような大凶日」の意味。
元は「空亡」「虚亡」と言っていたが
これを全てが虚しいと解釈して「物滅」と呼ぶようになり
これに近年になって「佛(仏)」の字が当てられたものである。
この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。
この日に結婚式を挙げる人は少ない。
そのため仏滅には料金の割引を行う結婚式場もある。
他の六曜は読みが複数あるが、仏滅は「ぶつめつ」としか読まれない。
字面から仏陀(釈迦)が入滅した(亡くなった)日と解釈されることが多いが
上述のように本来は無関係である。
釈迦の死んだ日とされる2月15日が旧暦では必ず仏滅になるのは
偶然そうなっただけである。
[土御門] 吉凶なし
[高島] 凶日、何事も忌む
[安政雑書]大悪日なり、よろずもちゆべからず
○大安(だいあん・たいあん)
「大いに安し」の意味。六曜の中で最も吉の日とされる。
何事においても吉、成功しないことはない日とされ
特に婚礼は大安の日に行われることが多い。
また、内閣組閣も大安の日を選んで行われるという。
しかし、本来はこの日に何も行うべきではないとする説もある。
「たいあん」が一般的な読みだが「だいあん」とも読む。
かつては「泰安」と書いていたので「たいあん」の方が本来の読みということになる。
[土御門] 吉日にて万事進んでよし
[高島] 吉日、旅行移転その他吉
[安政雑書]大吉日なり、何ごともよろずよし
○赤口(しゃっく・じゃっく・じゃっこう・しゃっこう・せきぐち・じゃくこう)
陰陽道の「赤目日」という凶日に由来する。
六曜の中では唯一名称が変わっていない。
午の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉でそれ以外は凶とされる。
[土御門] 正午は吉、前後は大凶なり
[高島] 凶日、ただし正午だけ吉
[安政雑書]この日も悪日也、よろず忌むべし、ただし午のときいっときはよし
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